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マルコによる福音書14章36節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年8月4日
  • 読了時間: 2分

アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください。


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エルサレムの東に、ケデロンの谷をはさんでオリブ山がある。そこからエルサレムの都の全景が見える。「ゲッセマネ」は、その山のふもとにある園である。オリーブの木々が生い茂り、人目を避け静かに祈る場所としては絶好の場所であった。「ゲツセマネ」は油搾しぼりの意である。オリーブの実を砕き、油を一滴残らずしぼりだす。主は十字架におかかりになる前夜、このゲツセマネで心を砕き、しぼり出すような祈りをされたのである。


十字架の受難はこのゲツセマネに始まる。主の受難はこのゲツセマネで山を越えたと言っても過言ではない。主はいたく恐れてもだえ、「悲しみのあまり死ぬほどです」と弟子たちの前に感情をあらわにされた。驚くのは、この十字架の苦杯を取り除いてほしいと祈られたことである。私たちと何ら変わらぬ人間性と弱さを持った主の姿を見る。


ゲッセマネの祈りから祈りの真髄を学ばされる。祈りは本音でなければならないこと。本音で祈る時に神も本音で応えて下さること。神と人との本心が衝突してみて、神の御心が最善と心から思えるようになって、神と人との思いがひとつにされる。その時、祈りは応えられる。ゲツセマネの壮絶な祈りを弟子たちは目撃し、主イエスの祈りは確かに応えられたことを、弟子たちは後世に伝えている(ヘブル5:7)。



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