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ルカによる福音書15章4節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年9月13日
  • 読了時間: 2分

あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。


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この度の旅行で、必携の一冊の本がありました。それは『わたしが共に行く』という、ブラジル福音ホーリネス教団の創立者である物部赳夫(ものべたけお)宣教師の伝記です。


物部先生は1893年長野県の寺の住職の次男として生れ、東京の鉄道学校で学び、同県の諏訪で鉄道員となった。同僚が機関車の連結作業中、事故死した衝撃から、「人は何のために生きるのか」という切実な疑問をいだき、「上諏訪伝道館」というホーリネスの教会を訪ねた。その教会の牧師(当時は「福音使」と言った)は驚いたことに、髙橋俊三先生であった。戦中、私たちの教会の牧師だった人である。高橋先生は、彼の率直な疑問に真っ向から聖書をもって回答した。そして、求道三ヶ月にして信仰を告白し、中田重治監督より洗礼を受けた。言うまでもなく、父から勘当された。その後、東京聖書学院で学び、小樽、品川の教会の牧師を経て、1925年、ブラジル日系人伝道のために海を渡った。


物部先生の短歌に次の一首がある。「人の子が 失せし羊たづねんと 血を流しませば 我もたづねん」。「人の子」は救い主の称号で、イエス・キリストをさす。キリストはいなくなった羊を探し求めていばらをかき分け、手には傷を負い、血を流しながら訪ね歩く。ならば、私もひとりの人を求めてひたすら訪ね歩くと言う。


晩年は肝臓がんをわずらい、その痛みに耐えながら、サンパウロから何百キロも離れた村々を訪ね、貧しさと過酷な労働で労苦する日系移民に福音を語り伝え、その旅先で帰らぬ人となった。36歳、夫人と二人の幼い子を遺して召天。その物部先生が興された数々の教会の人たちがサンパウロに約1,600人集い(オンラインの配信も行われ)、ブラジル百周年記念式典が行われた。


深川教会牧師だった髙橋先生は、赴任して早々、宗教弾圧によって六本木警察署に連行され取り調べを受け、巣鴨の拘置所に入れられたが、劣悪な環境のため健康を害し、仮出所となり甥宅の本所で療養。その療養中、東京大空襲に遭い、火に巻かれて逃げ場を失った数名の人を集めて、「キリストを信じれば恐れるに足りない」と言って一緒にひざまずいて祈った。それが最期だったという。


この両牧師は、ひとりの人にキリストの福音を伝えるためにいのちをも顧みなかったのです。このお二人の先生は、同じ信仰のいのちにつながれていたのだと痛感いたしました。そして、私たちもこの信仰のいのちにつながれているのです。




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