ルカによる福音書21章33節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年1月20日
- 読了時間: 2分
〝滅びないもの〟を想う時、私はいつも神の霊を想います。
あらゆる地球上の被造物は、どんなに強靭なものでもいつかは朽ちていきます。それを考えると、「何のためにこの地上にいるのだろうか」と虚無感に襲われ、生きていること自体が馬鹿馬鹿しくなってしまう時期が私にはその昔ありました。
でも、それは「死んだら終わり」という考えが私の脳に植えつけられていたからだと気づきました。
〝終わりでないもの〟=〝継続〟は、私の一番好む世界観です。継続の中に「永遠」が見えるからです。
けれど、物事をいくら継続できても、肉体がなくなれば、それもできなくなります。
さて、どうしたものか…。色々と考えた挙句、見つかった〝継続〟は、神様そのものでした。
古い古い映画をリバイバルで鑑賞すると、教会に通うシーンがよく出てきます。そこで神父さまや牧師さまが聖書のみ言葉を語り、お説教をします。私が生まれるずっとずっと前から聖書のみ言葉が全く変わらないこと、そして、その聖書自体が今も私たちの手元に存在していることに感動を覚えます。
一方で、何年も何年も、何度も何度も同じことを言われないと、人は神の御心に「はい、分かりました」と素直に言えないほど罪深いのだと知らされますが、それと同時に、神様の忍耐力に感謝がわきます。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
伝道者の書3:11
神様は、人が空しさから逃れられるたった一つの道、〝み言葉〟をくださったのだと思います。そのみ言葉から永遠を想う時、私の内も外も、神の霊があるのが分かります。
なんと豊かなことでありましょう。






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