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ルカによる福音書2章25-32節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2025年12月26日
  • 読了時間: 2分

その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。


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ヨセフとマリヤは幼子イエスを連れてエルサレムの神殿に行った。律法にしたがって幼子を聖別するため、それに伴って犠牲山鳩一羽と家鳩を二羽をささげるためであった。その神殿の境内でシメオンという敬虔な老人と出会った。シメオンは救い主に出会うまでは死なないと聖霊の示しを受けていた。幼子を連れて二人が入ってきた時、聖霊によって示されたので、そのいだかれた幼子こそ、救い主であることを知ったのである。シメオンはマリヤの腕から幼子を受け取りいだいて言った。「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしの目が今あなたの救を見たのですから」と。救い主の到来を見届けたので、もはや私の地上での使命は終わった。主はいつでも安らかに主のみもとに帰らせてくださると言って、主をほめたたえたのである。

私たちもこの地上の生涯を終えるのは、この地上での使命を終える時である。それは、私たちひとりひとりに特有な召命であり。それを果たし終えたなら、死を迎えることは安らぎであり、この上ない幸いである。何ら悲しむべきものではない。本人にとっても、家族にとっても。



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