ローマの信徒への手紙8章33-34節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年2月7日
- 読了時間: 2分
デボーションの筆者の祈りは深刻です。そして、私はその気持ちがよく分かります。
教会へ行くと、説教の中にはふんだんに〝罪〟という言葉が出てきます。あまりにも「罪だ」「罪だ」と言われて、罪悪感にのしかかられてしまう方もおられるかもしれません。
けれど、そのくらい言われないと私たち人間は自分の罪がどのくらい深いのかを徹底して知ることはできないと私は思っています。
そして、自分のその罪深さをよく知っていれば知るほど、忠実な神様のしもべになれると思っています。
私たち人間の罪によって私たちが悪い者なのかどうなのかは、自分で定めることではないと今日のデボーション箇所のみ言葉は伝えてきます。
人を義としてくださるのは神様のお仕事なのです。
私たち人間はただ「自分には深い罪があった」と忘れずに覚えているだけでいいと思います。
その上で、前を向いて神様のくださる光へ向かっていけばいいのです。
後ろを振り向いて自分の罪を責める必要はないのです。
もし、今日、罪を犯したら、神様に祈り、謝り、悔い改めれば、寛大な御方は赦してくださいます。その後は、感謝して、神様に懐へ向かって歩めばいいと思います。
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
フィリピ3:13-14






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