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ローマ人への手紙12章3-5節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年7月24日
  • 読了時間: 2分

わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。なぜなら、一つのからだにたくさんの肢体があるが、それらの肢体がみな同じ働きをしてはいないように、わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。


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教会はキリストの一つの体であり、教会に集うひとりひとりは肢体、各器官であるとパウロは言う。これほど緻密に、ダイナミックに協働する組織体はない。私たちは主に召されて一つの教会につなぎ合わされている。切っても切れないそのつながりは、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く」(15節)ことによって生み出され育てられるものである。


各器官は個性的で皆違う。われわれ日本人は、同じでないと一致できないと考える。しかし、聖書のいう一致は、自分を無くして他に合わせるというものではない。互いに相手の個性を認め、尊重することによって与えられる。教会において、自分と個性が全く違う人、肌が合わないと言われるような人が、実は自分にとってなくてはならない人である。その人から受ける指摘によって成長することができる。また、自分のできないところをその人によって負っていただいていることに気づかされる。


神の賜物の中で、大事なものは全ての人に等しく与えられており、それは99%を占める。いのち、水、空気。神の救い、聖霊、神の恵み、平安・・・など。残りの1%が個性と言われる賜物である。それは自分のためではなく、他者を愛するためにこそある。私たちの能力、性格、信仰(の深さ)は、神が賜物として与えて下さっているものであり、それによって人を見下したり、「こんなもの」と言って、自己卑下したりしてはならない。「思うべき限度を越えて、思い上がる」ことなく、神が与えて下さるものを心から喜び、感謝し、慎み深く生かし用いてゆくものでありたい。




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