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ローマ人への手紙15章1-3節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年8月8日
  • 読了時間: 2分

わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。わたしたちひとりびとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである。キリストさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかった。


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フランスの科学者であり哲学者だったパスカルは、敬虔なクリスチャンであったが、彼は「人間は考える葦(あし)である」と言った。葦は川辺に群生する植物であるが、強風が吹いてもなびいて簡単には折れないが、人の手にかかれば、簡単に折ることができるか細い植物である。ここに、人間が葦にたとえられているのは、人間はかぎりなく弱いものであることを強調しているのである。しかし、そのか弱い人間ではあるが、考えることができる。それが人間の強みであることをパスカルは言っている。


さて、今朝申し上げたいことは、人は等しく、例外なく弱い存在であるということである。強い人はいない。「この人は強い」と思うのは幻想であると、スイスの精神科医ポール・トゥルニエが言っている。もし、人間が強くなれるとしたら、自分の弱さに目をそらさず、それを心から認めることである。「その弱さがあるからこそ、私には神なしには生きられない。キリストに従って行こう」と決意するなら、私たちは強くされる。次の聖書の言葉に注目したい。


ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。(第二コリント12:9-10)


自らの弱さを認めて、神の御手に陥り、「弱い時にこそ、強い」という強さを神によって与えられたい。また、そのようにして強くされた者は、神によって与えられた強さを自分のためではなく、弱さをかかえている人のために惜しみなく用いる者でありたい。




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