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ローマ人への手紙3章28節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年6月11日
  • 読了時間: 1分

わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。


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「義とされる」とは、一点の染みとなるような罪も認められないということである。だから、罰せられない、無罪放免ということである。キリストが十字架の上で、私たちのいっさいの罪の負債を負われたのである。いっさいの罪の代価は十字架の上で払われた。だから、救われるために、償いとなるような、善行、献金、奉仕、苦行などは求められない。それが行いによるのではなく、信仰によるという意味である。十字架の上で完成された救いを受け取るならば、救われるのである。それを「信仰義認」という。




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