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ローマ人への手紙5章20-21節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年6月19日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年9月14日

律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。


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「罪の増し加わるところに恵みも増し加わる」という。不思議な響きを持つ言葉である。聖書の真理にはこうした逆説(パラドックス)が多い。理性で解き明かそうとすれば、私たちから遠ざかってゆく真理である。しかし、幼な子のように素直な屈託のない心で相対するなら、自ずと啓(ひら)かれる。


旧約聖書の冒頭には「律法」(トーラー)という分類された書群がある。そこには、具体的にこうしたものが罪であるということが示されてある。このような指摘がなければ、私たちは罪なるものを知らなかったのである。

私が求道していた時に、「聖書」という書物は聖なる書と書いてあるから、読めば読むほど、心がすすがれて、清い心を持てるようになると考えていた。ところがそうではなかった。読めば読むほど、自分の心の醜さが映し出されたのである。まさに聖書は、私の心をありのままに映し出す鏡だった。ところが、この経験がキリスト教信仰に入れられる「秘密の入口」だったのである。この罪というものがわかって、私の目の前にキリストの十字架が鮮やかに現われ、「主は私のために十字架にかかられたのだ」ということを悟ったのである。私が救われた瞬間だった。




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