ローマ人への手紙5章6-8節
- Pastor

- 2024年6月17日
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更新日:2024年9月14日
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
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クリスチャンであっても罪あやまちを犯す。いざという時に信仰に立てず、主の意に沿えないこともある。しかし6節には、そんなはがゆい罪人のために、主は十字架にかかられ死なれたのである。
正しい人と善人の比較がおもしろい。人のために命を捨てるということは大変なことであるが、正しい人のために死ぬ人はほとんどいない。しかし、善人のためであればいるのかもしれないという。赤穂浪士は主君のために命を捨てたが、それは単に主従関係だけでなく、浅野内匠頭は善人であり、なおかつ温情深い人だったのではないだろうか。余談にて悪しからず。しかし、主イエス・キリストは、正しい人でもない、善人でもない、罪深い者のために死なれたのである。ここに神のはかり知れない愛がある。






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