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ローマ人への手紙6章14節

  • 執筆者の写真: Gates to Devotion
    Gates to Devotion
  • 2023年1月21日
  • 読了時間: 2分

というのは、罪は、あなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなた方は律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。


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これこそ、私たちが学ばなければならない中心的な心理です。このみ言葉は、私たちに権威を与えます。たとえ私たちの肉に情欲を感じ、また罪に陥ることがあるとしても、「それでもなお、律法から逃れることは私の願いであり、もはや律法と罪の下にはなく、信仰を持った義人である」と確信するのです。このように言えないとすれば、絶望し滅びなければなりません。律法は、いつも、「あなたは罪人である」と語ります。それに対して「然り」と言えば、滅びます。もし「否」と言うならば、律法を拒絶し、「否」を持続するために、立つべき堅固な根拠をもたなければなりません。ところが、罪の中に生まれたという事は、聖書によって確証され、真理です。それなのに、どうして「否」と言えるでしょうか。どこに、その根拠を見いだすのですか。それは決して私のうちにあるのではありません。キリストのうちにあるのです。


キリストから確証をいただいて、それを律法の前に投げ出して言います。「見よ、キリストは、あらゆる律法に対して『否』と言うことがおできになる。そうゆう権威をお持ちになる。なぜなら、罪から全く自由であり、純粋な方であるからだ。そしてキリストは、ご自身の『否』を私にくださった。それ故、私は罪人で、律法の前に立つことができず、私の中に純潔らしさを何一つ持たず、神の怒りを招くばかりで、自分自身を見るときには、『然り』と言わざるを得ないけれども、それでもなお、キリストの義が私の義であって、それゆえに、罪から自由にされていると言うことができる。」


このように、常に言うことができるのが、私たちの目標です。

キリストご自身が言っておられたことですが、すべてのことが信仰によって働く時、私たちはきよい信仰者とされているのです。




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