ローマ人への手紙8章31節
- Pastor

- 2024年8月3日
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もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。
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以前に取り上げた箇所を再び取り上げて・・・。
教団委員会には、重くてどうにも背負いきれないような問題が上がってくる。教団委員長となった時から、私のような小さな器にはどうにも手に負えない。いっさいを主の御手に委ねて・・・。そのように肝に銘じていたはずなのに、こうした抱えきれない問題を前にして、就寝すると、あれこれどうしたらいいものかと考え始める。それはとりとめのない堂々巡りであって、いい考えなど浮かぶはずもなく、しまいにはただ思い煩って、心が擦り切れるように疲弊してしまうのである。そんなこともあって眠りが浅く、不眠症になる。
そういう時は、牧師館から下に降りて行き、真夜中、真っ暗な礼拝堂に身を置くのである。この教会の礼拝堂はなんと素晴らしい処であろう。主はそこで私を待っておられる。すぐには言葉は出てこない。それでも重い口を開いて祈る。ただ自分の無力さを打ち明け、「あなたが必要です。あなたが立ち上がってください。あなたが主導権をとってください。私はあなたに従うのみです・・・私の前に、主よ、現われてください。どうにもならない問題に呑みこまれ、沈んでゆく私を引き挙げてください!」
「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」(マタイ14:27)と仰せられ、私の手をしっかりつかんでくださる・・・。
あのヨシュアのように、神を自分の側に引き寄せ、神を味方につけるのではない。主の軍勢の将が言ったように、靴を脱ぎ、主の前に全面降伏し、私が主の陣営に、神の側に身を置くのである。そうすれば、誰も、どんなものも敵し得るものはない。主はほむべきかな。






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