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ローマ人への手紙8章32節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年7月3日
  • 読了時間: 2分

ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。


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父なる神は、あなたの救いのためにご自身のひとり子であるイエス・キリストを死に渡され、ささげてくださった。その神が、願い求めるあなたのために、神の創造された万物をお与えくださらないはずがないというのである。


このみ言葉から思い浮かんでくるのは、ルカによる福音書15章の「放蕩息子」のたとえである。父の財産を食いつぶした上、帰還した弟息子に対して、父は子牛をほふり盛大な晩餐をもてなした。それに対して、父の下で忠実に働いてきた兄息子は、その父のふるまいを受け入れられず、家に入ろうとしなかった。そのような兄息子を父はなだめて、中に入るようにうながした。すると、兄息子は父に訴えた。「私は何か年もあなたに仕えて、一度もそむいたことはなかったが、友と楽しむためにあなたは子ヤギ一匹もくださったことはなかった。それなのに、放蕩三昧の上、帰ってきた弟のために肥えた子牛をほふられました」。父は答えた。「私はいつもあなたと一緒にいたし、私のものは全部あなたのものだ。しかし、あなたの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当たり前である」と。神を畏れ神に向かって生きる者のために、神はいついかなる時も共におられ、万物をいつでも供給できるように備えておられるのである。神の愛はいかなる時も、どんな場合も変わることはない。




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