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ローマ人への手紙8章38-39節

  • 執筆者の写真: Pastor
    Pastor
  • 2024年7月5日
  • 読了時間: 2分

わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。


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私の父は1951年にイエス・キリストと出会い、神の救いにあずかった。その救いの喜びにあふれて、会社の同僚を教会に誘い、二人の友人も神の救いにあずかりクリスチャンとなった。もう一人の同僚は心の病を患っていた。彼も誘われて教会に通っていたが、鉄道自殺をした。父のところに第一報があり、現場に駆けつけ、その惨状を見て目に焼きつき、何度もフラッシュバックする中で耐えきれず、酒を飲まないではおれなくなった。神を求めて教会に通っていた友人が、何故あのような悲惨な死に方をしなければならなかったのか、父は神が信じられなくなってしまって、教会を離れた。飲みたくない酒を飲まざるを得なかったから、父は酒を飲むと豹変し、母に対して暴言を吐き暴力をふるった。隠れて教会に通い続けていた母に、どうにもならない神への感情をぶつけていた。


それから約十数年ほどの歳月が流れ、父が酒を飲んで帰宅する途中、自転車の運転を誤って道端の側溝に転落し、病院に運ばれた。牧師が入院していた父を見舞い、聖書が開かれ祈りの時がもたれた。後になって、私を信仰に導いた吉津牧師から聞かされた。「あなたのお父さんのためには一日も忘れないで祈っていました」と。吉津牧師は毎朝五時に起きて祈っていた。退院後、父は再び教会に導かれ、神のもとに立ち返った。「もう二度と教会には戻らない」という悲壮な決意をもって教会を出たが、神と教会の側ではつながれていたのである。


私たちの人生には思いがけないことが起こる。しかし、如何なるものも、神の愛から私たちを引き離すことはできないのである。




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