第一歴代誌28章9節&29章19節
- Gates to Devotion

- 2025年9月5日
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わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。主はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。
わが子ソロモンに、全き心を与えて、あなたの命令とさとしと定めを守らせ、すべてを行わせて、私が用意した城を建てさせてください。
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この2箇所は、神に対しての全き心、または完全な心であるとは何であるかを把握していくにあたって重要です。
最初の箇所である28章9節では、完全な心とは、人の思いの邪悪な力という、人間の根本的問題に対するものであることをよく示すからです。
ソロモンは2つのことを行うようダビデに命じられました。一つは、父ダビデの神と生きた経験をソロモンも持つこと、もう一つはソロモンの全人格をもって喜びを表しつつ徹底した忠実さをもって神に仕えることです。
なぜ、ソロモンはこれを行わねばならないのでしょう。
それは、神は私たちの「心」を気にかけておられ、私たちの思いの中に働く邪悪な特質をよくご存知だからです。ダビデは、神のために生きる中で、自分自身が学び取ってきたことをソロモンに告げていたのです。神は私たち自身の全て以下のことなど望んでおられません。というのも、完全な心があってこそ、人は自分にまとわりつく、ひどい邪悪さに立ち向かえることを、神はよく知っておられたからです。
では、全き心で、とはどういう意味でしょうか。
現代英語で「心」という言葉の持つ感情的な意味に対してよく注意せねばなりません。ここで言われている全き心とは、神への大変な熱心さですとか、霊的成長についての大きな意欲の類のことであると結論付けやすいのです。
しかし、二番目の箇所である29章19節にてダビデが語っていることは、そういうものではないことがはっきりと示されています。神に対して完全な心を持つとは、契約規定に従うことです。神が私たちの人生の絶対的な主であるとして、神の意志に服従し、神が罪とされるものを罪とし、義とされるものを義と認め、神が人をご覧になるように、自分も人を見ていくということです。全き心をもって神のものになるとは、自分が神についてどう感じるかというよりも、自分の人生の中で、神に敵対する存在の全てを神に消し去ってもらい、そこに神ご自身が満たされていき、現実の見方が変えられていくことなのです。
29章9節において、神に対する全き心の応答はどういう連鎖反応を起こしていくかを見ることができます。
ダビデの神への献身は純粋で徹底しており、また自分の子であるソロモンにもそれを何よりも望んだことから、王国の指導者たちも同じように神に応答するよう、心動かされ、神殿建設のためのささげものを携えてきました。この建物はダビデ王国ではなく、神の偉大さを証するものであったことから、指導者たちは何のためらいもなく、神殿建築計画に参加しました。
そして指導者たちのこうした行動は、今度は谷に喜びをもたらしました。なぜ、民は喜んだのでしょうか。指導者たちの行動を、他にはどうして注目していたのでしょうか。それは、神に全てを委ねきっている指導者というものは、自分の地位を高めるために圧政を強いる可能性が低いからです。
神に全てを委ねている指導者に従っていくことは、民にとってそう難しいことではありません。






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