詩編51編5, 12, 19節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年1月14日
- 読了時間: 2分
自分の"罪びと加減"に疲弊してしまうことが私にはよくあります。神様への背きなどというレベルでないほどの罪を山ほど犯してきました。真面目に生きたいと思っても真面目に生きられない人間だって私のようにいるのです。
幼い頃からイエス様を知っていて、イエス様にも知られていたのにも関わらず、救われる前も、救われた後も、ビッグな罪を犯し続けています。
けれど、そんな私であっても、神様は見捨てるどころか、かえって私を大いに遣っています。大いに遣われながら、私はまだ罪を犯し続けています。ちっとも聖(きよ)くなどなっていません。
ただ一つだけ明らかなことがあります。
それは、罪は犯し続けてはいるのですが、罪を犯す数が明らかに減っています。
それには二つ理由があります。
ひとつは、神様に遣われている時間は、忙しすぎて罪を犯す暇がないので罪を犯しません。
もうひとつは、罪を犯すであろう瞬間に「これはまずい!」と思い、罪を犯そうとした自分を反省し、罪の前に留まりの壁を造れるようになっていることです。
これらは神様の御力によって、罪を犯すことに鋭くなっている証拠だと感じています。
神様は、神様を信じる者に対して、過去の罪だけでなく、これから犯すであろう罪も赦してくださっています。過去の罪だけでなく、未来も赦してくださっているとはどういうことなのかと考えたことがありますが、答えは簡単に出ました。
それは、神様を信じた者は、たとえ罪を犯したとしても、犯さないのではなく、犯せない日が必ずやってくるのを神様はご存知だということだと思います。
神様は、過去の罪を赦すだけでなく、将来、罪を犯さない者になることを期待をしてくださっているのだと喜ぶ今日この頃です。
ご期待にこたえて、白い衣の羊になれるよう歩んでいきたいと思います。






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