マルコによる福音書6章46節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年1月12日
- 読了時間: 3分
所属教会の牧師先生の年頭メッセージでデボーションについて触れられ、可能な限り、デボーションをし、ここに記し続けている年明けです。以前はデボーションをよくしていましたが、ここ数年多忙なことが続き、2週間に1回ほどしかデボーションができなくなっていました。
お祈りは朝晩毎日忘れることなくしていても、デボーションには時間が多少なりともかかるので、時間を取るのが難しいこともあります。けれど、このようにデボーションを可能な限り毎日続けようと心にしっかり決めると、それなりに続けられるものだとつくづく実感しているところです。
また、この得た恵みをできるだけフレッシュなうちに周囲に可能な限り伝えています。
デボーションの効果というのはとても面白いものだと思います。
神様から賜わったパンを美味しかったので誰かに分けます。すると、またパンが欲しいと言ってくる方もあれば、そのパンを自分で得ようと思う方もいます。パンが欲しい方はまた私のところに戻ってきてパンを得ます。同じパンを自分で得ようと思う方は、毎日聖書を読むようになったり、デボーションの本を熱心に読んだり、配信説教を積極的に見聞きします。
そして、どんな形であってもパンを食べた方たちは皆、自分の人生のことを考え、自分の魂のことを思い、神様との和解の重要性を知ります。
私はほぼ毎日、まだ救われていない息子と、救われて間もない高齢の両親にラインで今日の教会からのみことば配信やデボーション箇所を送信しています。息子のためにはその救いのために、両親のためには信仰の歩みの励ましとして送っています。
IT企業内で人材を取り扱うポジションにいる息子にとっては、少なからずとも目に見えない不思議な御力によって自分が守られているのを何となくですが分かるようになっており、このストレス社会において心を落ち着かせて仕事に着手できています。
高齢の両親は、ラインで受け取ったみことばでデボーションをし、二人で一緒に毎朝30分聖書通読に励むようになりました。
夫には毎日神様のことを話題にあげるので、聖書通読もデボーションもでき、静かに神様に養われています。
大学の友人とも分かち合っています。全員クリスチャンですが、クリスチャンといえども悩みを抱えている友人はいます。その支えになればと思ってパンを分けています。
私がやっている事は伝道でしょうか。
自分がおいしかったパンを人に分けているだけです。ただそれだけのことなのです。 大げさに伝道しようとか、誰かを救おうとか思ったことは全くありません。むしろ伝道は面倒くさいと思っているほうです。
けれども、一つだけはっきりやっていることがあります。神様と交わることをしない日はないということです。そして、それはある意味、祈りの日々でもあります。神様は、私の知らないうちに、人々の求めに応えようとさせるのではなく、神の求めに応えるように育んでくださっているのかもしれません。誠に誠に感謝なことと思います。






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