出エジプト記33章15節をいただいて
- 来主 珠里(July Cross)

- 2023年3月25日
- 読了時間: 2分
今日のデボーションの箇所から、神様はこのような罪びとである人々に大きな期待をされ続けているのだと感謝がわきます。
この地上での契約というと、あらゆる面でその契約に雁字搦めになるように思います。「○○しなければならない」というmustの契約です。
けれど、神様のくださる真の契約は〝自由〟という衣を着た契約だと私はよく思います。自由であるということは、そこに自分自身で選んだがゆえに背負う責任が伴いますが、それも含めて神様は、その人にできるからこそ神様がくださる導き、つまり自由な契約を与えてくださっているように思います。
「今日、右のことをしようか、左のことをしようか」「今、何を言おうか、それとも言わないべきか」などそんな些細な事も、自分自身で決める度にそれは神様との小さな契約が行われていることだと思います。
モーセの祈りはとりなしの祈りでもありましたが、モーセがどんな事も神様にお尋ねになり、いつも神様と一体であったと感じます。自身が不完全であることを知っていたからこそ、神様の存在の必要を深く理解されていたのだと感じます。
デボーションの筆者は、「契約規定は、人々が失敗することを目的とするただの無理難題の羅列ではない」と語っています。
モーセの祈りにあるように「あなたご自身が一緒においでにならないのなら」、あらゆる契約規定を自力で頑張るゆえに、それらは無理難題になると思います。でも、神様の仰られることをそのまま素直に実行するなら、無理難題どころか失敗もしないでしょう。
最初から「神様の言われる規定はできない」と勝手に決めているのは私たち自身で、神様ではないことに心が留まります。
あらゆる物事を神様とご相談しながら導かれ、神様との真の交わりを大切にしてゆきたいと思います。






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