top of page

検索


詩篇142篇1-7篇
わたしは声を出して主に呼ばわり、声を出して主に願い求めます。 わたしはみ前にわが嘆きを注ぎ出し、み前にわが悩みをあらわします。 わが霊のわがうちに消えうせようとする時も、あなたはわが道を知られます。彼らはわたしを捕えようとわたしの行く道にわなを隠しました。 わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません。 主よ、わたしはあなたに呼ばわります。わたしは言います、「あなたはわが避け所、生ける者の地でわたしの受くべき分です。 どうか、わが叫びにみこころをとめてください。わたしは、はなはだしく低くされています。わたしを責める者から助け出してください。彼らはわたしにまさって強いのです。 わたしをひとやから出し、み名に感謝させてください。あなたが豊かにわたしをあしらわれるので、正しい人々はわたしのまわりに集まるでしょう」。 ******* おおよそ、この詩篇は、敵の謀略から守り助け出してくださいと、主に祈っている「嘆きの歌」である。ただどのような場面でうたわれたかについ

Pastor
2025年12月30日


詩篇141篇4-5、8節
悪しき事にわが心を傾けさせず、不義を行う人々と共に悪しきわざにあずからせないでください。また彼らのうまき物を食べさせないでください。正しい者にいつくしみをもってわたしを打たせ、わたしを責めさせてください。しかし悪しき者の油をわがこうべにそそがせないでください。わが祈は絶えず彼らの悪しきわざに敵しているからです。 しかし主なる神よ、わが目はあなたに向かっています。わたしはあなたに寄り頼みます。わたしを助けるものもないままに捨ておかないでください。 ******* ここには、自分を巧みな言葉によっておとしいれ、わなにかけようとする敵から私を守ってくださいという作者の祈りがつづられている。ただし、自分が守られ救い出されるにあたって、敵と自身とが主の正しいさばきの前に公平に扱われることを作者は願っている。「悪しき事」に自らが心ひかれ、「悪しきわざ」をなしてしまうことがないようにしてくださいと祈り、もし、誘惑に負けて悪しき事を犯してしまうようなことがあれば、悪しき者に自分を明け渡すことなく、主が正しいと思われる人を立てて、私をさばいてください。その時には、

Pastor
2025年12月29日


ルカによる福音書2章36-38節
また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、 その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。 この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。 ******* シメオンと並んで、ここに女預言者アンナが登場する。娘時代に嫁いで、七年間夫と共に生活し、その後は未亡人の生涯だった。独りになってアンナは献身し、神を礼拝する宮で神に仕え、預言者となったのではないか。すでに84歳というから60数年、昼夜断食の祈りをささげ、主に仕えていた。世俗のことに彼女の霊の眼は曇らされず、主なる神を仰ぎつづけていたが故に、救い主イエスと出会い、救いを待ち望むエルサレムの人々にキリストの到来を告げるという、預言者として決して外せない役目を果たすことができたのである。アンナは薄幸の女性ではなかった。神に仕えるという使命に生きてから、

Pastor
2025年12月27日


ルカによる福音書2章25-32節
その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」。 ******* ヨセフとマリヤは幼子イエスを連れてエルサレムの神殿に行った。律法にしたがって幼子を聖別するため、それに伴って犠牲山鳩一羽と家鳩を二羽をささげるためであった。その神殿の境内でシメオンという敬虔な老人と出会った。シメオンは救い主に出会うまでは死なないと聖霊の示しを受けていた。幼子を連れて二人が入ってきた時、聖霊によって示されたの

Pastor
2025年12月26日


ルカによる福音書2章15-16節
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。 ****** クリスマスおめでとうございます! まばゆいばかりの光が照らし、御使いが出現。救い主の誕生という全人類にかかわる重大、かつ大いなる喜びの知らせ。さらに夜空に現われたおびただしい数の天の軍勢の賛美。夢のようなつかの間の時間、気がつけば、いつもの真っ暗な野原に戻っていた。しかし、羊飼いたちは夢、幻に済ますことなく、「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合い、すぐさま、ベツレヘムへ向かった。そして語られたとおりに飼い葉おけに寝かせられた嬰児を拝した。主が語られたなら、即座に行動に移す。私たちも彼らの信仰にならいたい。

Pastor
2025年12月25日


ルカによる福音書2章14節
「いと高きところでは、神に栄光があるように、 地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。 ******* 礼拝で語られたことをふり返って・・・人は主イエス・キリストを通して神に立ち返り、神と向かい合って、神の御前にへりくだり、そして神の恵みによって生かされていることを知るのである。すると、人の前にもへりくだれるようになり、対立しても人とわかり合え、ゆるし合えるようになる。その積み重ねによって、私たちの間に築かれた小さな平和は世界へと広がり得ると、私は信じている。

Pastor
2025年12月24日


マタイによる福音書2章12-15節
そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたこが、成就するためである。 ******* 東方の博士たちにも、神は夢で語られた。彼らもまた、その御声を聞き逃さず、ヘロデ王の宮殿には立ち寄らず他の道を通って帰路についた。ヨセフにも再び夢によって神は再び告げられると、ただちに幼子と妻を連れて、エジプトに逃避行し、ヘロデの在世中はそこにとどまった。そのいっさいの費用は、博士たちによってささげられた高価な贈答物によってまかなえたであろう。今日も、主の御声を従う人々によって神の救いのみわざは推し進められてゆく

Pastor
2025年12月23日


マタイによる福音書2章11節
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。 ******* この三つの贈物は、いずれも高価なものであった。それは、彼らの神に対する献身を表わすものであった。はるか彼方の東方の国から、道中様々な危険を冒して旅しつづけてキリストを拝謁したこと自体が、彼らの神への献身そのものを表わすものであったが。 黄金は王に対するささげもの、乳香は神へのささげもの、没薬は死者にささげられるものであると、教父の時代から伝統的に言われてきたが、いずれも救い主にふさわしいささげ物であった。博士たちがへりくだって神に自らをささげたように、私たちも自らを主にささげるものでありたい。

Pastor
2025年12月22日


マタイによる福音書2章9-10節
彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。 ******* 東方の博士たちを導いた星がひとつの地点をさしてとどまった。砂漠を横切り国境を超えて、様々な危険と困難を乗り越え、ついに救い主との出会いを果たしたのである。その感激と喜びは筆舌しがたいものだった。私たちの人生は、この救い主との出会いを求めてさまよい歩く、旅路のようなものではないだろうか。主イエス・キリストとの出会いを果たし、私たちも至上の喜びにあふれるものでありたい。

Pastor
2025年12月20日


マタイによる福音書2章3-4節
ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。 ******* ヘロデがユダヤの王の誕生の良き音信を聞いて不安に感じたのは、自分の地位がおびやかされる可能性があったからである。それに対してエルサレムの人々が同様に不安を感じたのは、エルサレムにおいてこの二つの勢力が争えば、エルサレムが戦場となって、都は破壊され街は焼かれてしまう恐れがあったからである。それはきわめて深刻な問題ではあるが、いにしえから待望されてきたメシヤ(救い主)の到来を喜ばず、自分たちの生活の安定と繁栄をひたすら求めようとするところに、神から民の心が遠く隔てていたことを垣間見る。しかしながら、神から心が遠く隔てた人のためにも救い主がおいでくださったことを思い、クリスマスの良き音信を世の人々に語り伝えてゆきたい。

Pastor
2025年12月19日


マタイによる福音書1章24-25節
ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。 ******* ヨセフは夢で告げられたとおりに主に従った。マリヤが主に従い、ヨセフも主にしたがって、キリストの降誕、神の救いの計画は前進して行ったのである。 サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。(サムエル記上15:22) 主は今日もみ言葉に従う人を求めておられる。

Pastor
2025年12月18日


マタイによる福音書1章23節
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。 ******* 子なる神が人となってこの地上にお生まれになる。それによって「インマヌエル」、神がわれらと共にいますという神の約束が現実のものとなったのである。あらゆるものを失っても、主なる神がわれらと共におられるなら、恐れることはなく心配することもない。

Pastor
2025年12月17日


マタイによる福音書1章21節
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。 ******* 主イエス・キリストは、私たちを罪から救うためにおいでくださったのである。人はだれでも、その根幹には自己中心がある。それが身にしみて離れられない。そこから「もろもろの罪」が派生してくる。主は私たちのいっさい罪を負われ、十字架にかかられたのである。この十字架を仰ぐときに、私たちの罪のいっさいは赦され、三位一体の神との交わりの中に入れられたのである。

Pastor
2025年12月16日


マタイによる福音書1章18-20節
イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。 ******* ヨセフの心中を察せないではおれない。マリヤが身重になったということに対して、もっとも信頼していた人から裏切られたという悲しみと失意に打ちひしがれたであろう。それでも、取り乱すことなく、彼女にとってもっとも良いことを選択しようと考え、離縁を決意したのである。 その後、「それにしても、マリヤが不貞をするとは思えない、なぜ、このようなことが起ったのだろう」と思いめぐらしていた時に、御使いをとおして主なる神の告知があったのである。「マリヤを妻として迎えなさい。彼女がみごもったのは不貞によるものではない、聖霊によるのである」と御使いをとおして主が

Pastor
2025年12月15日


詩篇140篇6-7節
わたしは主に言います、「あなたはわが神です。主よ、わが願いの声に耳を傾けてください。 わが救の力、主なる神よ、あなたは戦いの日に、わがこうべをおおわれました。 ******* 万物を造られ、健康を与えすべてを備えられる父なる神、あらゆる危険から私たちを守り、罪、あやまちを犯す時にとりなされる子なる神、イエス・キリスト、神が信じられなくなるような時に私たちに寄り添い励まされ、私たちの心を神に向かわせ、み言葉が信じられるように導かれる聖霊なる神、この三つにましてひとりの神が、あなたが信ずべき真の神である。この神に向かって「あなたはわが神です。主よ、わが願の声に耳を傾けてください」と告白し祈る者でありたい。そうすれば、三位一体の神はあなたの力の神となって、敵の攻撃にさらされる時に、あなたの頭(こうべ)をおおう「救いのかぶと」となってくださる(エペソ6:17、イザヤ59:17)。

Pastor
2025年12月13日


詩篇139篇23-24節
神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください。 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。 ******* 主なる神は、私たちのほめられるべき善良なところをよくご存じであるが、同時に、私たちの弱さや罪深さもよく知っておられる。主の御思いと知識とは広大であると言った場合、それは人に対する寛大さである。主イエスが、人々に嫌われていたあの取税人ザアカイに心かけて彼の家に迎え入れられ、救いに導かれたように、主はどんな人をも受け入れ導かれる神である。それに対し、この詩篇の作者は何と不寛容なことか。19-22節は、敵対する人に対し容赦のないさばきをくだされることを嘆願している。それでも、私たちがならべきことはこの最後の言葉である。私のうちに悪しき道がないか、悪しき思いがないかを探り、試みてください。そして主のお心にかなう道、それは永遠の御国に通ずる道である、そこに迷いなく導いてくださいと祈っているのである。私たちもまた、いつくしみ深く、寛大な神に甘えることなく、主のお心にかな

Pastor
2025年12月12日


詩篇139篇18節
わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。 ******* 詩篇121:4には、「見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない」とある。私たちが眠っている間にも、主なる神は眠らず、うとうとすることすらしないという。それゆえに、私たちが目覚めれば、いつも私たちのかたわらに主は居られ、私たちを見守っておられるのである。熱を出し水枕をし、熱が下がって朝方早く目を覚ますと、枕元に母がいる。だれしも、幼少の頃にそのような経験をしているのではないだろうか。そのような親の姿に私たちの主なる神の姿を見るのである。

Pastor
2025年12月11日


詩篇139篇17節
神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。 ******* 主なる神の諸々の御思いは尊く、広大であるという。私はこの17節のみ言葉をこのように受けとめている。 諸々の御思いとは、私たちひとりひとりに異なる固有の思いを持っておられるということで、ひとりひとりへの見方が違い、関わり方が違う。十把一絡(じっぱひとから)げに扱わない、細やかであり、丁寧である。そうしたかかわりを天文学的な数字の私たち人類のすべてのひとりひとりに対してなされる。私たちの想像をはるかに超えた広大さ、そして私たちのひとりひとりを知っておられ、その情報をもとにもっともふさわしいケアをしてくださる。なんと尊い神なのであろう。

Pastor
2025年12月10日


詩篇139篇13-14節
あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。 ******* 何度もこの箇所を開いて語ってきたが、創造主なる私たちの神は、私たちを母の胎内で組み立てられた。そして今も私たちに命を供給し、健康を支えておられる故に、私たちの身体のことも心のこともよく知っておられる。私たちをとりまく自然環境は美しく心地よく、私たちも精巧によく造られている。そのように良きものを与えらえる主を畏れ、信頼し、その御声を聴いて主と共に歩んでゆきたい。

Pastor
2025年12月9日


詩篇139篇11-12節
「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。 ******* ヨハネ1:5に「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」とある。光はキリストご自身である。キリストと共にあるならば、やみは恐れるに足らない。やみは光に勝つことができず、やみの中に身を置かざるを得ないようなことがあったとして、光の中にいる時と何ら変わらないからである。 キリストを信じるようになってから、私にとって、やみは恐ろしいものではなく、目に見えない神を感じる場所となった。まさに、やみは光と何ら異なることはないのである。

Pastor
2025年12月8日
bottom of page
