top of page

検索


創世記12章2節
わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。 ******* 子がなく、すでに老齢になっていたアブラムに、主なる神は「あなたを大いなる国民とする」と言われた。事の成り行きに身を任せた生活をしていたら、想像も及ばない約束の言葉であるが、主を信じてどこまでも主に従ってゆくなら、きっとそのとおりになると信じられるものとなり、その主の約束の言葉は実現してゆく。そして、主が賜わる祝福は私たちのうちにとどまることなく、私たちは周囲の人々を祝福してやまない、「祝福の基」となるのである。主から受けた祝福と恵みを惜しみなく分け与える者は、さらにいっそう主の祝福と恵みにみちあふれる者となる。

Pastor
1月24日


創世記12章1節
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。 ******* 昨日の配信でも申し上げたように、たといノアの子孫であっても、人の心には罪が深く根ざしていた。11章にはバベルの塔の記事がある。支配者が起こり、人々を支配し巨大な塔を建造した。権力を誇示し、天まで達するような塔を造り、神をも支配しようと目論んだのではないか。神は言葉を混乱され、建造をやめさせ、人々を散らされた。 主なる神はひとりの人から、信仰を育てようとされた。アブラムである。故郷を出で、親族・家族と別れ、神の示す地に行くことを主は命じられた。故郷に再び戻ることはない、家族・親族と今生の別れを告げ、旅立つことから、神への信仰の第一歩が踏み出された。信仰とは神の声を聴いて従うことである。それを何度も積み重ね、信仰は育まれてゆく。

Pastor
1月23日


創世記8章20-22節
ノアは主に祭壇を築いて、すべての清い獣と、すべての清い鳥とのうちから取って、燔祭を祭壇の上にささげた。 主はその香ばしいかおりをかいで、心に言われた、「わたしはもはや二度と人のゆえに地をのろわない。人が心に思い図ることは、幼い時から悪いからである。わたしは、このたびしたように、もう二度と、すべての生きたものを滅ぼさない。 地のある限り、種まきの時も、刈入れの時も、暑さ寒さも、夏冬も、昼も夜もやむことはないであろう」。 ******* 箱舟に入れられたノアとノアの家族、及び鳥獣以外、高い山も呑み尽す大洪水によってすべての生き物は滅ぼされた。地は乾き、箱舟の外に出ると、ノアは祭壇を築き、神に燔祭をささげた。神がこのささげものを受け入れられた時、この約束の言葉を言い渡されたのである。ノアという信仰の篤い正しい人であっても、その子どもから生れてくる子々孫々は、生来の罪人である。それをわかった上で、人を滅ぼすことなく、人のために季節を与え、陽を照らし、雨を降らせて実りを与え、平穏な生活を保障された。その後、アブラハムを起こし、救い主を世に送ることによって、

Pastor
1月22日


創世記6章22節
ノアはすべて神の命じられたようにした。 ******* ここに短い言葉で、すべて命じられたとおりにしたとある。箱舟の大きさはただならぬ大きさであり、その木材を切り、運び、さらに製材し組み立てることは至難のわざである。さらにその箱舟にあらゆる鳥獣のつがいを集め、大雨がおさまり、地表をおおいつくした水が引きまでの間、人と動物たちの食糧を確保しなければならなかった。それらのいっさいをノア夫婦と、セム、ハム、ヤペテの三夫婦がそれらいっさいをなしとげたのである。主なる神に従うことによってあらゆる危険をまぬがれ、動物たち家族は救われたのである。 サムエルは言った、「主はみ言葉に従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル上15:22) 主のみ言葉に聴き従い、共に主の救いと恵みにあずかるものとならせていただきたい。

Pastor
1月21日


創世記3章9節
主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。 ******* アダムとエバは善悪を知る木の実を取って食べ、心に罪が宿った時に、彼らは神から身を隠した。心に宿った罪とは、わかりやすく言えば、自己中心である。神に背を向け自己に向かって生きることである。だから、身を隠したのである。人は本来神に向かって、神と共にあるものである。私たちは、「私は今、どこにいるのか」と自分に問いかけるものでありたい。それは、神に向かって生きているのか、神と共にあるのかを確かめるものである。何事も順調に行っているのに、何か心に空しさを感じる。ふと気づけば、主なる神と遠く離れてしまった自分を発見する。ひるがえって主のもとに帰ろう。

Pastor
1月20日


創世記1章7節
主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。 ******* 人は土のちりから造られた。ちりは何の役にも立たない、むなしいものである。そして、いずれ死を迎え、灰となり土にかえる。そのように土くれにすぎないものがかたどられ、鼻からいのちの息が吹き入れられて生きたものとなった。神の息が吹き入れられて、いのちと共に神のご性質をいただいたのである。それが「神のかたちに造られた」ということである。愛、正義、主体性、創造性、交わりなど・・・。人間らしさは神のかたちに由来する。それを養うために、神のいのちの息を日々受けてゆかなければならない。それは聖書のみ言葉によるのである。 人はパンだけで生きるものではない。神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きるものである。(マタイ4:4)

Pastor
1月17日


創世記1章1節
はじめに神は天と地とを創造された。 ******* クリスチャンになって、よく「生かされている」という言葉を口にする。その言葉を発すると、「これまで生きて来て本当に良かったなあ」としみじみと思い、神に対する感謝と喜びが心に満ちあふれてくる。神は、六日間で天地万物を創造された。その次第が、この創世記第1章には叙事詩のように描かれている。神は六日目に、最後の被造物として人類を造られた。長い歴史と広大な空間におびただしい数の人間が存在しているが、神はわれわれひとりひとりをご自身の手にかけ、丁寧に造られている。神の全能の力とはかり知れない叡智をもって、たったひとつのかけがえのない、傑作品として創造されたのである。われわれをとりまく自然界は美しく、住まいとして整っている。日々の糧も豊かに備わっていて申し分ない。はじめに神がおられ、神がこの世界を造られ、私たちひとりひとりを造られて生かされて、今、ここにある。神があって私がある。 主イエスの言われた言葉である。 「よく聞いておくがよい。だれでもわたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、もし

Pastor
1月15日


詩篇149篇1節
主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。 ******* 詩篇の黙想も、残すところ150篇のみとなった。これまで詩篇の一篇、一篇を味わい思いめぐらしながら、大いに感ずることは、礼拝とは主をほめたたえることであった。そして、私たちがなし得るもっとも大いなることは主を賛美することであると。いつも日々に主をたたえ、新しい歌がささげられるものでありたい。「新しい歌」とは、この時代に歌われる新しい賛美の歌を作ることもそうであるが、この詩篇に書き連ねられた「たたえの歌」をわが歌として、新鮮な霊的感動をもって読み上げ歌うなら、それはその人しか歌えない「新しい歌」となり得る。新聖歌も、新しく作られつづけているワーシップソング、ゴスペルソングも、わが歌として歌うのである。 主に向かって、新しい歌を歌え。

Pastor
1月13日


詩篇148篇1節
主をほめたたえよ。もろもろの天から主をほめたたえよ。もろもろの高き所で主をほめたたえよ。 ******* 天から、主なる神をほめたたえる賛美が聞こえないだろうか。太陽が、月が、あまたの星々、雨、雪、霜、吹きすさぶ風の中に、ほめたたえるその声を。地から、主なる神をほめたたえる賛美が聞こえないだろうか。地上に群がる動物、さえずる鳥、海にいるあらゆる生き物、地をおおう草木がほめたたえるその声を。自然界とそこに生息する動植物は、神の注がれる愛と満ちあふれるばかりの恵みを知っている。だから、主をたたえないではおれないのである。神のかたちに造られ、神より少しく劣るものとして造られたわれわれ人間はどうであろうか。神に背を向け、ひたすら自分のことばかりを考え生きている。不平と不満をこぼし、感謝することを知らない。自然界とそこに生息する動植物にならい、心の目を主なる神に向け、主をほめたたえるものでありたい。

Pastor
1月12日


詩篇146篇3-5節
もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない。彼らには助けがない。 その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる。 ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。 ******* 人間社会は、人や物を頼りとして、その上に生活の基盤が築かれている。しかし、人や物は有限なものであって、物は自然災害などで突如何もかも失われてしまったり、頼りとしていた人が急逝したり、ある事で、信頼関係が崩れてしまったりすることがある。肝心な時に頼れないことが起り得る。だから、永遠に変わることのない主なる神により頼み、そこにこそ、望みを置くべきである。 人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。 主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。 たしかに人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。 しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。 (イザヤ40:6-8)

Pastor
1月9日


詩篇146篇1-2節
主をほめたたえよ。わが魂よ、主をほめたたえよ。 わたしは生けるかぎりは主をほめたたえ、ながらえる間は、わが神をほめうたおう。 ******* 賛美をすることは、音楽をたしなんでいることではない。主に向かって、全身全霊をもって神をたたえるのである。生活のすべての領域で、主がなしてくださったみわざの故に、主に感謝し、主を喜ぶのである。内側からあふれ出るように賛美するなら、私たちの魂と心と身体は、神のいのちに生かされ、健やかにされる。内に広がる平安は、何ものをもってしても奪われることはない。私は生けるかぎり、どんなに老いて記憶が薄れ、認知できなくなってきても、主なる神を忘れることなく、ほめたたえる者でありたい。

Pastor
1月8日


詩篇145篇16-19節
あなたはみ手を開いて、すべての生けるものの願いを飽かせられます。 主はそのすべての道に正しく、そのすべてのみわざに恵みふかく、 すべて主を呼ぶ者、誠をもって主を呼ぶ者に主は近いのです。 主はおのれを恐れる者の願いを満たし、またその叫びを聞いてこれを救われます。 ******* 主なる神はみ手を開いて、願い求める人の祈りに応えられる。腕を組みそり返って、にらみつける人のようではなく、手を差し出し開いて、間に合って救いの手が差し伸べられられるように、身がまえておられるのである。 誠をもって主を呼び求める人に近い。それにまつわるエピソード。日曜の午後、教会から数キロ離れた町に日曜学校の分校があり、若い牧師が自転車に乗ってそこにおもむき、その分校で子どもたちと讃美歌を歌い、聖書のお話をし、祈って導いていた。ところが、日曜学校が終わろうとする頃にどしゃぶりの雨が降り始めた。雨具もない、時間どおりに帰らないと、夕方に教会で行われる伝道集会にも間に合わない。日曜学校が終わった後、子どもたちが玄関に集まって、ひとりの子が「先生のためにこれから祈るから、大丈夫だよ

Pastor
1月7日


詩篇145篇8-9節
主は恵みふかく、あわれみに満ち、怒ることおそく、いつくしみ豊かです。 主はすべてのものに恵みがあり、そのあわれみはすべてのみわざの上にあります。 ******* 私たちが信じる主なる神は善良な神であって、常に真実で最善をなされる神である。私たちがさらに主に近づけられ、人としても信仰者としても成長を望まれて、試練の中を 通される時もあるが、通常は必要なものが備えられ、健やかで平穏な日を与えられる。それ故に、主を喜び歌い、主に感謝し、主の恵みと主のみわざを人々に語り伝えてゆきたい。

Pastor
1月6日


詩篇144篇9節
神よ、わたしは新しい歌をあなたにむかって歌い、十弦の立琴にあわせてあなたをほめ歌います。 ******* 目には見えないが、ここに主なる神をおられるという主の臨在に触れ、主が語られ、主の恵みといのちが注がれる。主に守られ主に助けられる経験をする時に、私たちのうちから新しい歌があふれ出てくる。古くから歌い継がれてきた歌であっても、わが歌となって、その歌詞のひとつひとつが私の信仰そのものを表わすものであると思えて、新鮮な感動をもって歌うのである。 この新たな年、そのような新しい歌をいくつ歌うことができるだろうか。毎週の主日礼拝の中で、一日一度主の御前に出て、聖書を開き祈る時に、新しい歌をもって主の恵みに応答したい。

Pastor
1月5日


イザヤ書55章10-11節
天から雨が降り、雪が落ちて、また帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者に糧を与える。 このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。 ******* ここに、神のみ言葉とは、いかなるものであるか、実にわかりやすく、例えて説き明かされています。 天から雨が降り、雪が舞い降りて、雨は川となって野山を降ります。その水が田畑に引き入れられ、あるいは直接降り注いで、農作物を育て、草木を茂らせます。そして、花を咲かせ、実を結ばせるのです。鳥や動物にも水を与えて乾きを癒します。われわれ人間は、水を得て、育てられた農作物から糧を得るのです。雪は、高い山の尾根の狭間に氷となって、日照りに備え、大量の水を山に確保します。雨や雪は川を下って海に至り、太陽に熱せられて水蒸気となり、再び天に還って行くのです。 それと同じように、一旦、神の口から発せられた言葉は、虚しく還ることがなく、なすべきことを果たして、神の下に還っていくというのです。 聖書から神のみ言葉が講談

Pastor
1月1日


詩篇143篇7-8篇
主よ、すみやかにわたしにお答えください。わが霊は衰えます。わたしにみ顔を隠さないでください。さもないと、わたしは穴にくだる者のようになるでしょう。 あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。 ******* 敵の攻撃に遭い、命の危険にさらされているか、病によってひん死の状態にあったか、「わが霊は衰える」とは、死が押し迫っていることを表わし、「穴にくだる」は陰府(よみ)に下ること、死を表わしている。そのような中で主のいつくしみにすがり、どこまでも主に信頼し、主に望みを置くことを言い表わし、逃げようのない中で、進むべき道、そこから脱出する道をを教え示し、その道を歩ませてくださいと祈っているのである。

Pastor
2025年12月31日
bottom of page








