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コリント人への第一の手紙13章7節
愛は、すべてを忍ぶ。 ******* 「忍ぶ」はギリシャ語の「ステゴー」という語の訳で、同じ7節でこの後に出てくる「耐える」はギリシャ語の「ヒュポメネイン」という語の訳であり、違う語が使われ、意味合いが違う。「忍ぶ」(「ステゴー」)には覆(おお)うという意味がある。他人の欠...

Pastor
2023年2月13日


コリント人への第一の手紙13章6節
愛は、不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 ******* 他人のあやまち、非を指摘することはむずかしい。私自身ももっとも苦手とすることである。何も言わないで、そっとして、背後で祈っている。それも愛であると言えるが、それにまさる愛は、あからさまにその非を指摘することである。...

Pastor
2023年2月11日


コリント人への第一の手紙13章5節
愛は、恨みをいだかない。 ******* ここに訳されている「いだく」という言葉は、会計係の使う言葉で、ある事項を忘れないために帳簿に記入するものであるとW.バークレイは言う。他人にひどいことを言われ、ひどいことをされて受けた心の傷はうずくたびにその記憶は鮮やかに思い返され...

Pastor
2023年2月10日


コリント人への第一の手紙13章5節
愛は、いらだたない。 ******* 車が渋滞していらだつ。自分の非を指摘されていらだつ。イライラして何もいいことはない。わかっていながらもいらだっている。「愛はいらだたない」。自分が如何に愛のない人間であるかがあらわにされる。どうしたら、そのいらだちが消えるのか。それは、...

Pastor
2023年2月9日


コリント人への第一の手紙13章5節
愛は、自分の利益を求めない。 ******* 私たちの愛は、しばしばgive & takeである。愛すれば、それ相当の対価を求める。他人に親切にすれば、それ相当に何かしてもらえることを期待する。結婚においても条件をいくつも上げ、それにかなう人が愛するにふさわしい人と考える。...

Pastor
2023年2月8日


コリント人への第一の手紙13章5節
愛は、不作法をしない。 ******* 愛は礼儀正しい。礼儀作法は、とかく自己防衛として身に着けるものと考えられている。人前に恥をかかず、人に良き印象を与え、良き評価を得るため・・・。ところが、ここには自分のためではなく、他者のために礼儀正しくあるべきことが述べられている。...

Pastor
2023年2月7日


コリント人への第一の手紙13章4節
愛は高ぶらない、誇らない。 ******* 神はあらゆる時代の、あらゆる国の人々をご自身の御手をもって創造された。ひとりひとりは皆違うが、大切な存在として等しく造られた。だれひとり卑しい人はなく、すべての人が尊い人である。しかし、現実の人間社会においては、ある人は尊く、ある...

Pastor
2023年2月6日


コリント人への第一の手紙13章4節
ねたむことをしない。 ******* 愛はねたむことをしない。無二の親友と言うべき人が他の人と親しそうにしているのを見て、嫉妬することがある。そんな思いが生じてしまうのは、友への愛が未熟であるからだ。親友を自分のところに縛りつけてはならない。大切な友があなただけでなく広く友...

Pastor
2023年2月4日


コリント人への第一の手紙13章4節
愛は情深い。 ******* 私の出身町にあった警察署の署長はクリスチャンだった。在任期間、私の母教会の忠実な教会員だった。彼は戦時中、海軍士官であったが、乗船していた巡洋艦が魚雷によって沈められて、海に投げ出され破片にすがり漂流していた。米軍の巡視艇に発見され、接近して銃...

Pastor
2023年2月3日


コリント人への第一の手紙13章4節
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 ******* 第一コリント13章は「愛の章」と言われる。その中で愛を15の言葉に言及している。ここに、神が私たちに賜わる愛の多様性を見る。...

Pastor
2023年2月2日


コリント人への第一の手紙13章1-3節
たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無...

Pastor
2023年2月1日


コリント人への第一の手紙12章26-27節
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。 ******* 教会の中で、苦しむ時に共に悩み、嬉しい時に共に喜ぶ真の友を与えられたい。その友情は、どんな...

Pastor
2023年1月31日


コリント人への第一の手紙12章22-25節
からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和を...

Pastor
2023年1月30日


コリント人への第一の手紙12章14-21節
実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではな...

Pastor
2023年1月28日


コリント人への第一の手紙12章12-13節
からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つ...

Pastor
2023年1月27日


コリント人への第一の手紙12章4-7節
霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。 *******...

Pastor
2023年1月26日


コリント人への第一の手紙12章3節
そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。 ******* 聖霊によって霊の目が開かれ諭されなければ、イエスを主として神として信じることはでき...

Pastor
2023年1月25日


コリント人への第一の手紙11章25-26節
食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。...

Pastor
2023年1月24日


コリント人への第一の手紙11章23-24節
わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。 *******...

Pastor
2023年1月23日


コリント人への第一の手紙11章1節
わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい。 ******* 長年信仰生活を送ってきた人が信仰を持って間もない人に向かって、「私を見ないように」と言う。「私にならうな」ということである。人を見ると、つまずく。人を見ないで、神だけを見なさ...

Pastor
2023年1月21日
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