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詩篇139篇5節
あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。 ******* 主なる神は、エジプトを脱出したイスラエルの民を、昼は雲の柱、夜は火の柱が行く手を指し示し、あらゆる外敵から民を守って導かれた。このみ言葉には、背後からも御手を差し伸べ私を守られるとある。イザヤ書52:12には、「あなたがたは急いで出るに及ばない、また、とんで行くにも及ばない。主はあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたのしんがりとなられるからだ」とある。特に背後は目が届かない。眠ることなくまどろむことなく、私を見守られる。主に身守られて、今日も主と共に歩ませていただきたい。

Pastor
2025年12月4日


詩篇139篇1-4節
主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。 あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。 あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。 わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。 ******* 私たちが信じる主なる神は私を探り、知り尽くされる。今日、個人情報の保護が厳しく問われる時代にあって、「知り尽くす」と言う言葉は恐怖に値する言葉とも言いかねないが、私を心底愛しておられる方がいっときも忘れることなく、「どうしているだろう」と心にかけてくださっているということはただ愛というほかにない。これほどの安心はない。 言葉に表わして祈る前から、主は、私が何を願い求めれているかをわかっていてくださるという。それなら、祈る必要はないではないか、とはならない。どんなつたない祈りであっても、主は私たちの祈りの真意をくみとってくださるのである。だから、何をどう祈ったらいいかわからない時にも、主に向かい主に祈ることができる。たとい言葉にならないうめきの

Pastor
2025年12月3日


詩篇138篇8節
主はわたしのために、みこころをなしとげられる。主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることはありません。あなたのみ手のわざを捨てないでください。 ******* 神から遠く離れてへだてていた者を主は探し出して救われた時から、私の心と身体は主にとらえられ、主の手中におさめられたのである。 主の御手の中にあって、私の人生に、主のみ心が成し遂げられられるようになったのである。私の人生は主のいつくしみと恵みが満ちあふれ、私の人生は神の最善である。主と共に歩み、主のみ言葉に聴き従い、私の生涯に主のみわざがなされ、主なる神の栄光が現わされるように。

Pastor
2025年12月2日


詩篇137篇5-6節
エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、わが右の手を衰えさせてください。もしわたしがあなたを思い出さないならば、もしわたしがエルサレムをわが最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつかせてください。 ******* バビロンに囚われの身となった神の民が、「神をたたえる歌でも余興で歌ってみろ」とバビロン人からかわれたのだろう。それに対し、この詩篇の作者は、どうしていたずらに神をたたえる歌を歌えようか。どうしてわれらの神と故国を忘れることがあろうかと詠った嘆きの歌である。知らず知らずのうちに教会に行かなくなってしまい、気づいてみたら、神から遠く離れてしまったということがある。しかし、この捕囚の民のように、強制的に神から引き離され、「そんな信仰など捨ててしまえ」と言われると、最初に主を信じた時のことがきっと思い出され、この5,6節にあるように、それに抗(あらが)う思いがこみあげてくるのではないだろうか。 私は決して神と神の御国を忘れるようなことはない。神と神の御国は私にとって最高の喜びであって、これに代われるものはない。

Pastor
2025年11月29日


詩篇133篇1節
見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。 ******* ガラテヤ3:28には、「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」とある。主イエス・キリストを信じるなら、国や民族を超え、立場や性別を超えてひとつなることができる。主を中心とした交わりは、愛と励ましがあり、うるわしく楽しい。 去る主日は、横須賀のブラジル・ホーリネス教会に行ったが、礼拝後、愛餐会があり、食事が終わっても、居心地がよくだれも帰ろうとしない。その交わりは、まさにうるわしく楽しいものだった。帰りは、電車で通う、身長180センチを超える大がらな信徒の方と一緒に帰った。車中、彼は礼拝で語った私の証に共鳴し、どうして日本に来たのかを語ってくれた。彼には自死した家族があり大きな痛みがあった。日本には自死する人々が数多くあることを知り、日本人にキリストを伝えたいと思ったという。日本を愛する彼の熱い思いに、キリストを伝える情熱を新たにされた。

Pastor
2025年11月26日


詩篇130篇3-4節
主よ、あなたがもし、もろもろの不義に目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。 しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。 ******* キリストの十字架があるがために、どうにもはい上がることできない、深い淵に転落したとしても、主の聖名を呼び求めるなら、そこから主が必ず救い出してくださるということが信じられる。 またそのような苦難に遭(あ)って、自分の弱さと共に罪深い自分の姿を見させられる。その時、あのキリストの十字架の上に全きゆるしが与えられていることを確信するのである。 どんな罪もゆるしてくださるのだから、何をしてもかまわない、平気で罪を犯してもいいとは思わない。十字架をあおいで罪ゆるされた人は、主に近づけられ、主のことをより知るようになって、主を畏(おそ)れかしこむようになる。

Pastor
2025年11月25日


詩篇127篇1-2節
主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。 ******* 私たちにはそれぞれ建てるべき家があり、守るべき町がある。「家を建てる」とは、生産的なわざであり、それに対し「町を守る」とは維持管理することである。いずれも一時も忘れられず手放せないものであるが、ここにむなしいとあるのは、朝早く起き、夜遅く休むほどに懸命に働いたとしても、家は建たない、町は守れないかもしれないということである。しかし、この二つのことを主なる神に委ねるならば、建つべき家は建ち、守るべき町は守られるのである。たとい病で床に臥(ふ)すようなことがあっても、主はなくてはならぬものを備えてくださるのである。委ねるとは、主導権を明け渡すことである。それは、主に言われることはどんなことでもさせていただくことである。主に従うなら、大いなる神のみわざを拝する

Pastor
2025年11月24日


詩篇126篇5-6節
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。 ******* 主イエス・キリストが語られたたとえの中で、「種」は神のみ言葉にたとえられている。み言葉は人の心に向かって語られるが、あの「種まき」のたとえにおいては、四分の三は、み言葉を受け取ろうとしない。たとえ地にもぐり芽を出したとしても、すぐに枯れてしまう。残りの四分の一は「良い地」と言われるもので、30倍、60倍、100倍の実を結ぶ。良い地は偶然にもそこにあったのではない。耕されたものである。耕す農夫は神ご自身である。 日本人はなかなか福音を受け取ろうとしない。しかし、涙をもって種まく者は、収穫の束をたずさえ、喜びの声をあげて帰ってくるという。あきらめずに種をまきつづける。「涙を流して出て行く」とは、み言葉を受け取ってほしい家族や友人、近隣に住む人たちのために、涙を流し祈り、伝え続けることである。そうすれば、主はそれらの人たちの心を耕し、み言葉を受けとめる柔らかい心に変えてくださるのである。 涙をもって種まく者は

Pastor
2025年11月22日


詩篇119篇147-148節
わたしは朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みをいだくのです。 わが目は夜警の交代する時に先だってさめ、あなたの約束を深く思います。 ******* 年齢を重ねて、未明の3時、4時頃に目が覚めてしまって、睡眠不足に悩まされていた。ところが、「朝早く目覚めた時には布団の中にとどまって、主なる神のことを思う・・・それがこの上なく幸せな時間である」という証をお聞きし、それにならうようになって、あせりがなく、要らぬ心配もなくなり、神の与えられる貴重な時間として過ごせるようになった。わが目は夜警の交代に先立って覚め、み言葉を思いめぐらし、静かに祈りをささげる。

Pastor
2025年11月21日


詩篇119篇130節
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。 ******* 小学校の低学年だったと思うが、幼くして信仰を告白し洗礼を受けた児童が聖書が読み、聖書がよくわかるという話を聞いたことがある。「イエスは主である」と告白する人に、子どもであっても聖霊が宿り、その聖霊をとおして主が生きて語られるからである。それこそが私たちの前でみ言葉が啓(ひら)かれるという経験である。

Pastor
2025年11月20日


詩篇119篇105節
あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。 ******* かつて千葉聖会は、房総半島の笠森保養センターという、温水プールも備えた大きな県立の施設で行われていた。各部屋は広くゆったりとした和室であったが、バスは部屋にはなく温泉浴場で湯に浸かり、トイレも外にあった。その保養センターでの事、夜中に目が覚めトイレに行った。その晩、たまたま廊下は消灯していた。部屋のすぐ近くで何度も利用していたので、真っ暗でも平気と思ってトイレに入ろうとしたら、思いっきり壁に顔をぶつけた。光がなく、自分の勘に頼ることが、いかに危険であるかを身をもって体験した。人生には明るい街道を歩くこともあれば、街頭のない小径を歩くこともある。自分の経験や勘だけに頼って、道を踏み外して思わぬ災難に遭遇する場合もある。み言葉の光によってすぐ足元を、遠く先を照らしてもらって、あらゆる危険から守られ、道に迷わずに正しき道を歩ませていただきたい。

Pastor
2025年11月19日


詩篇119篇99-100節
わたしはあなたのあかしを深く思うので、わがすべての師にまさって知恵があります。 わたしはあなたのさとしを守るので、老いた者にまさって事をわきまえます。 ******* 私は、小学生時代からその後も、良き教師に恵まれたと思っている。もちろん私を信仰に導いてくれた牧師にも恵まれた。長い求道期間であったが、忍耐強く祈り導いてくださった。良き師がおられ今日の私がある。その師にまさるのが、主なる神ご自身のみ言葉である。その時々に必要な知恵が与えられる。 年を重ねることによって、経験に基づいた知恵が私たちには貯えられている。それが人生の岐路に立たされる時に、自分のためにも他人のためにも役立つものとなるだろう。しかし、最終的に私たちの心をさぐり、決断に至らせるのは神のみ言葉である。日々、コンスタントにみ言葉に耳を傾け、み言葉に従う者でありたい。

Pastor
2025年11月18日


詩篇119篇89-91節
主よ、あなたのみ言葉は天においてとこしえに堅く定まり、あなたのまことはよろずよに及びます。あなたが地を定められたので、地は堅く立っています。 これらのものはあなたの仰せにより、堅く立って今日に至っています。よろずのものは皆あなたのしもべだからです。 ******* このところ、詩篇119篇を取り上げているが、一篇が176節ある最長の詩篇である。旧新約合わせても、聖書の書の中で一章が―詩篇の場合は「章」は「篇」と呼んでいるが―もっとも長いものである。この詩篇119篇のテーマはただ一つ、それは「神のみ言葉」である。この神のみ言葉が、「おきて」、「戒め」、「さとし」、「あかし」、「定め」・・・などの言葉に言い換えられて表わされている。この119篇の作者は、エルサレムに帰還して、国を建て直したエズラではなかったかという一説がある。まさに神のみ言葉によって国の再建をはかったのである。 さて、今朝のみ言葉は、神のみ言葉は天においてとこしえに定められているという。聖書は旧新約66巻によって成り立っているが、すでに天において定められたものであって変わることがない

Pastor
2025年11月17日


詩篇119篇11節
わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。 ******* み言葉を心に貯えるという。コロサイ3:16には、「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい」とある。心に貯える、宿らすとは、暗唱することと言ってもいいが、単に覚えているということではない。そのみ言葉の言われるとおりに従ってみて、そのみ言葉の真実を体験することによって、み言葉が、私たちの血となり肉となることである。その第一にあげられるべきものは、入信の時に与えられた救いのみ言葉である。さらに、苦難に遭遇し、どうにもならない時に与えられたみ言葉である。その窮状の中で助け出されたみ言葉である。そのようなみ言葉の体験によって、み言葉は心に貯えられるのである。そのようにしてみ言葉が私たちのうちに宿っているならば、み言葉は罪に打ち勝たせる力となる。

Pastor
2025年11月15日


詩篇121篇7-8節
主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。 主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。 ******* これまで私が生きてくることができたのは、ただ主なる神のあわれみと恵みの他にない。何度か命が危険にさらされたことがあり、主から遠のいて行って、正しくない道に足を踏み入れてしまうような場面もあった。そんな時に主の御腕におおわれて守られ、とらえられて連れ戻されてきたことをふり返る。自分の思いのままにならなかったことが数多くある。それが、「すべての災いを免れさせ、またあなたの命を守られる」ことだったのである。 朝、仕事に出かける時に、用事で出かける折に、旅行の出発に際して、玄関を出る前に、車のハンドルを握って、この8節のみ言葉を声を出して読み、これを常として暗唱し、祈るものでありたい。今日も一日、主の守りと祝福があるように。

Pastor
2025年11月13日


詩篇121篇3-6節
主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。 見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。 主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。 昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。 ******* 主なる神は、夜眠ることも休むこともせず、まどろむこと、うとうとすることすらもしないという。重篤な病人を一睡もせずに、そば近くで寝ずの番をするように、見守るのは御使いであろうが、日々の健康、あらゆる危険からの安全はこのようにして守られている。「右の手を覆う陰」とは、兵士が戦いに出た時、どうしても右手の防御が手薄になる。なぜなら、左手に楯を持ち右手に槍や剣を持つからだ。ふいに右側から矢が射られるものなら、防御しきれない。そのような時に、主は右の手を覆う陰となってくださるのである。冬を迎える今の季節は、陽光はありがたいものだが、夏の日照りは熱中症を起こしたりする。月のあかりはロマンチックだが、病魔を呼ぶという言い伝えがあった。いずれにしても、太陽の光は私たちの健康を増進さ

Pastor
2025年11月12日


詩篇126篇1-2節
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。 ******* 「山の上より昇る陽が わが学舎(まなびや)を照らす時 始業はじめの鐘が鳴る」。これは私の出身中学の校歌の一節である。私の故郷では、太陽は東の山から昇り西の山に沈んでいた。町は四方八方が山に囲まれ、見上げればそこに山があった。江東区では高層ビルから辛うじて富士山が見えるぐらいだ、山が恋しい・・・。コンクリートに狭まれてはいるが、雄大な空があり、雲がたなびく。木々が繁り、草花は色とりどりに花を咲かす。わが助けは天地を造られた主から来る。なんと心強いことか。

Pastor
2025年11月11日
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