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ガラテヤ人への手紙2章19-20節
わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである...

Pastor
2024年10月19日


ガラテヤ人への手紙1章23-24節
ただ彼らは、「かつて自分たちを迫害した者が、以前には撲滅しようとしていたその信仰を、今は宣べ伝えている」と聞き、わたしのことで、神をほめたたえた。 ******* このガラテヤ人への手紙の執筆者であるパウロは、クリスチャンと教会を迫害する勢力の急先鋒であった。彼の迫害によっ...

Pastor
2024年10月18日


ガラテヤ人への手紙1章1節
人々からでもなく、人によってでもなく。 ******* クリスチャンは、どのようにしてイエス・キリストを信じたのか?それは人を介してである。人に誘われ、人に聞いて、人に接して、人に導かれて・・・。「あの人と出会わなければ、信仰に導かれることはなかった」ということを聞く。しか...

Pastor
2024年10月17日


コリント人への第二の手紙12章10節
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 ******* 弱さ、侮辱、危機、迫害、行き詰まり、いずれも避けて通りたいものばかりである。ところがパウロは、弱い時にこ...

Pastor
2024年10月16日


コリント人への第二の手紙12章9節
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 ******* 人は、等しく弱いものである。「強い人」というものは幻想であって、そ...

Pastor
2024年10月15日


コリント人への第二の手紙12章8-9節
このことについて、私は彼を離れさせてくださるようにと、三度も主に祈った。ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。それだから、キリストの力が わたしに宿るように、 むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。...

Pastor
2024年10月14日


コリント人への第二の手紙12章7節
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである。 ******* 1-5節には、14年前に第三の天まで引き上げられたというパウロの経験について語られている。「パラダイス」という天の御国を垣間...

Pastor
2024年10月12日


コリント人への第二の手紙11章29節
だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。 ******* 「弱らないでおれようか」という言葉から、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」の中の、「日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き」という言葉を思い...

Pastor
2024年10月11日


コリント人への第二の手紙11章23-28節
苦労したことはもっと多く、投獄されたことももっと多く、むち打たれたことは、はるかにおびただしく、死に面したこともしばしばあった。ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、そして、一昼...

Pastor
2024年10月10日


コリント人への第二の手紙10章18節
自分で自分を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ、確かな人なのである。 ******* 外に出かけようと思えば、何を着ようかと、女性にかぎらず気になるものである。そして、他人にどう見られているのかが気になる。気にし過ぎると、立ちふる舞いも、話し方も不自然になり、ぎこちな...

Pastor
2024年10月9日


コリント人への第二の手紙10章3-4節
わたしたちは、肉にあって歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。 ******* 去る日曜日の礼拝では、私たちの戦いは人に対するものではなく、その背後に暗躍する悪の霊との...

Pastor
2024年10月8日


コリント人への第二の手紙9章6-7節
わたしの考えはこうである。少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる。各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。 *******...

Pastor
2024年10月7日


コリント人への第二の手紙8章15節
それは「多く得た者も余ることがなく、少ししか得なかった者も足りないことはなかった」と書いてあるとおりである。 ******* パウロの時代、財政的に困難な教会を豊かな教会を支援し、一教会においても、生活に余裕のある人が教会に資産をささげ、困っているに分け与えていたようである...

Pastor
2024年10月5日


コリント人への第二の手紙8章9節
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。 ******* 「主は富んでおられた」とは、いと高き神の御位(みくらい)にお...

Pastor
2024年10月4日


コリント人への第二の手紙8章2-3節
彼らは、患難のために激しい試錬をうけたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。 ******* ここに、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みについて...

Pastor
2024年10月3日


コリント人への第二の手紙7章10節
神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。 ******* 絶望的な悲しみというものがある。それは死を来たらせる。しかし、その悲しみが神の手の中にあり、それをとおしてあなたを救いに至らせ、神が新たな第二の人生に導かれる...

Pastor
2024年10月2日


コリント人への第二の手紙6章2節
見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。 ******* 「神のもとに帰らなければ、人は本当の平安を得られない」と、古代カトリックの教父アウグスティヌスは言った。私たちを造られた創造主なる神こそ、まことの親であるからだ。神は、あの「放蕩息子のたとえ」に出てくる父親のよう...

Pastor
2024年10月1日


コリント人への第二の手紙5章20節
わたしたちはキリストの使者なのである。 ******* 神と人との間には、罪による断絶がある。この罪を取り除き、神と人との交わりを回復するために、キリストは十字架にかかられた。キリストの十字架を仰ぎ、罪ゆるされて神と和解するなら、神は、人と人の間に和解を与えられる。キリスト...

Pastor
2024年9月30日


コリント人への第二の手紙5章17節
だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。 ******* ここで「キリストにある」と言われる一方で、同じパウロの手紙には、「私たちのうちにキリストがおられる」とも書かれている。主イエス・キリスト...

Pastor
2024年9月28日


コリント人への第二の手紙5章14-15節
なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった...

Pastor
2024年9月27日
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