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詩篇14篇1-5節
主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者があるかないかを見られた。彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。善を行う者はない、ひとりもない。 すべて悪を行う者は悟りがないのか。彼らは物食うようにわが民をくらい、また主を呼ぶことをしない。その時、彼らは大いに恐れた。神は正しい者のやからと共におられるからである。 ******* 「神などはいない」と公言し、神を畏(おそ)れない人たちがいる。しかし、神を畏れないのは彼らだけのことではない。2節には、神が天から見下ろしすべての人をご覧になったが、すべての人が等しく、神のもとから迷い出て、心は腐れて善を行なわず、強い者が弱い者を食い物にし、主なる神に向かって祈る者はいないという(ローマ3:10-参照)。そのことに気づかされ、心をひるがえして主に向かうなら、あなたは「正しい者」義とされ、主なる神はあなたと共におられる。

Pastor
2025年10月20日


詩篇13章3節
わが神、主よ、みそなわして、わたしに答え、わたしの目を明らかにしてください。 ******* 詩篇の作者は、身体も心も苦痛にさいなまされ、主に向かって「いつまで御顔を隠されるのか」と訴えた。限界はすでにこえており、このままだと死に絶えてしまう。このままだと、神をあざける者がこの世でたたえられ、人々から神は忘れ去られてしまうと嘆いた。そうならないために、「わたしの目を明らかにしてください」と祈ったのである。 シリヤ軍が、夜のうちに預言者エリシャが滞在している町を取り囲んだ。彼を捕らえるためである。エリシャに仕える若者が朝早く起きて外に出て見ると、シリヤの軍勢が馬と戦車をもって町を取り囲んでいたのを見たので、若者はあわてて家に飛び込み、エリシャにうろたえ告げた。すると、エリシャは「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」と言って、「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」(列王紀下)と祈ると、主はその若者の目を開かれたので、天から遣わされた火の馬と火の戦車が、シリヤ軍の周囲を包囲しているのを見たのである。若者

Pastor
2025年10月18日


詩篇12章5節
主は言われる、「貧しい者がかすめられ、乏しい者が嘆くゆえに、わたしはいま立ちあがって、彼らをその慕い求める安全な所に置こう」と。 ******* 人は神を畏(おそ)れなくなり、世の中には、うそ偽り、へつらいの言葉があふれている。いよいよ貧しい人、弱い人は行き場を失い、生きづらい世の中になっている。主はそのような人のために立ち上がり、彼らが願い求めている安全な場所を備えてくださるという。今日においてそれは、教会ではなかろうか。上げ足を取られたりとがめられたりせずに安心して身を置ける場所である。そこにはどんな人をも招き迎えられる主イエス・キリストがおられる所である。

Pastor
2025年10月17日


詩篇8章2節
みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。 ******* 引き続き、北海道聖会での恵みについて。札幌教会の土屋牧師夫妻の二人のお嬢さんのことをお話したい。上は4年、下は2年の小学生。2回の聖会に二人は出席していた。東京新年聖会では、幼児・小学生対象の「子ども聖会」を設けているが、北海道聖会にはない。私が驚いたのは、二人がただその場所にいて、お絵描きをしたり何か他のことをしていたわけではなく、賛美し、説教をしっかりと聴いていたことだった。お母さんの牧師夫人は声楽家であるが、しっかり音がとれて大きな声で歌っている。説教はノートにとって聴いている。聖会が終わった後に、「先生、これをあげる」と言って、それぞれ書いた説教ノートをノートから切り離し、私に渡してくれた。部分的に聴き取れて理解できたことが箇条書きに書いてある。かなり正確によく書かれているのに驚いた。上のお姉さんの方は余裕があって、絵入りで書いてあった(よく書けた記録ノートなので、コピーを取り、郵送し返そうと思っている)。 聖会Ⅱでは、説教が終わった直後にいくつかのグループに分

Pastor
2025年10月16日


テモテへの第二の手紙1章5節
また、あなたがいだいている偽りのない信仰を思い起している。この信仰は、まずあなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケとに宿ったものであったが、今あなたにも宿っていると、わたしは確信している。 ******* 12-13日に行われた北海道聖会のためにお祈りくださり、感謝いたします。聖会は帯広市にある「サラダ館」と呼ばれる都市農村交流センター、広大な農園に囲まれた昭和の洋館風の建物で行われました。12日主日の午前は、帯広市に隣接する芽室町にある、芽室ホーリネス教会の礼拝に出席し、み言葉をとりつがせていただきました。礼拝後、K兄から声をかけられました。クリスチャンであった彼の母親は昨年召されたという話を聞きました。彼の母親は、夫の執拗な反対の中で信仰を貫き、息子(彼)と娘(彼の妹)を信仰に導いた人であったという。母の信仰の偉大さが、母が召されて初めてのように気づかされたということでした。K兄は68歳ですが、今からでも母にならって主のために働きたい、許されることならば、これからでも聖書学院に入って伝道者になりたいと話してくれました。生きた信仰は母から子へ、子か

Pastor
2025年10月15日


ヨハネによる福音書21章15節
彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。 ******* 数日前に、主イエスは捕らえられ、大祭司の家で宗教裁判が行われていた時、ペテロは遠巻きにその様子を見ていた。まだ夜が明けるだいぶ前のことである。大祭司の家で雇われた下僕や女中がしばし手を休め、火をたいて手や身体を温めていた。ペテロはそしらぬ顔をしてその輪の中に入り、火に手をかざしていた。ふいに、女中の一人が「あんたは、あのイエスの弟子だろう」と聞かれた。とっさのことで「わしはそんな人のことを知らない」。「いやあ、わしも見たよ、あんたはあの男と一緒だった」。「わしとは何ら関係ない」。「うそを言ってもだめさ、あんたの言葉(のなまり)で一目瞭然さあ。あんた、ガリラヤの出だろう。じゃあ、あんたはイエスの弟子にまちがいないぜ」。「誓ってもいい、わしはあの人とは何の関係もない

Pastor
2025年10月14日
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